ある朝、洋服ダンスが開いていた。きっちり閉めたのを確認してから外出したが、帰ってもやはり開いていた。そんなことが何回かあったから、おかしいなあと思って、めいっぱい詰め込んだタンスの中を片付けたら、中からにんげんがひとり出てきた。なんだ、そういうことだったのか。

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そうして彼女は景色になった。毎朝の通勤電車の中に、冬の白い日差しの眩しさに、電灯の落ちる狭い路地に、彼女はいる。彼女の残り香さえもうない。瞼の裏にも二度と現れない。

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「夜がね、」しばらく待っても言葉の続きはない。電車が通り過ぎていく。静寂。「夜が、なに?」「え?」君は不思議そうにまばたきをした。行方がわからなくなってしまった。夜がね。囁くような言葉が脳裏を埋め尽くす。

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とりおとした せつない が水の底でわたしをみている。

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真白な空から落とした白が、わたしの指先から中指を伝って、体のなかに入りこんで、だいじょうぶだよと反響して、わたしはそれにすがりついて、世界が白でぬりつぶされていく。

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窓の外からくじらが見ている。

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花瓶を落としてしまった。粉々。捜しものは、まだ見つからないでいる。

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なもしらぬゆめのためになみだをながすきみがすきだよ

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5月の木陰でこっそり切開、心がわんわん泣いていた。 怖くなって蓋閉めた。抱えてなんて生きたくないのだ。

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「さらわれたいな」「何に?」「月に?」「はは」肩を並べて歩く月曜日。吸い寄せられるように目があって、紺色の傘の下、ひっそり口付けた。傘を叩く雨が世界を満たしていく。月はあんまり綺麗じゃないけど、わたし、死んでもいいな。(キスの日)

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「また明日」きみはふわりと笑って去っていった。足音が夜に響いて、端っこで猫が泣いていた。明日は来ない。寂しいのはだあれ。そうしてわたしは夜のカーテンを閉める。

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お帰りを、言うべきひとが誰だったのか、忘れてしまったの。

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きみの救い方をあれこれ考えるけど、たぶんぜんぶ、なんの意味もない。きみにだってぼくにだって、そんなつもりはないから。隣にいるためだけなら、きみに救いなんていらないだろう。苦しいなりに、居心地いいんだ。ぼくらはふたりで臆病だ。

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目を瞑った羊たちが、灯台に向かって歩んでゆく。大行進の真ん中で、わたしだけが立ち止まっている。見渡す限り一面の羊世界。どこまでも、どこまでも、歩いていく。遠くで雨の音がきこえる。多分もうすぐやってくる。

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夕日が照らすキャンバスに、少女は身を委ねた。蝉の声が聴こえはじめる。少女の足元に、青い絵の具が溶けだしていく。夜を描くには、彼女の背は小さすぎる。

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彼女は夕を宿してした。彼女が笑うたびに、白いワンピースの裾から、夕が零れ落ちるのである。地面に落ちた夕は、夜に向かって背をのばす。彼女はふらふら走っていって、次の夕にまた現れる。